新春浅草歌舞伎☆ド派手なメイクや微妙な心理劇を堪能

母と2人で浅草で歌舞伎。

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演目は「義経千本桜」(下右の絵)と「元禄忠臣蔵」(下左の絵)。

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義経千本桜「伏見稲荷の段」は頼朝に追われて逃げる義経に伏見稲荷の前で恋人の静御前が追いつき、自分も一緒に連れて行ってほしいと懇願する場面。

多難な旅が予想されるため、義経も家来たちも、静御前は都にとどまり、義経からの便りを待つようにと説き伏せる。義経は大切に持っていた「初音の鼓」を静御前に与え、自分の分身と思って心を慰めるように言う。しかし静御前は一人残されるくらいなら、いっそこの場で死ぬ、と言い張り、困り果てた家来たちは、死なれては困ると、鼓に巻かれている紐で、静御前を梅の木に縛り付けて行ってしまう。(そんなのってあり!?とちょっと驚く。そのまま誰も来なかったら一体どうする気なのか)

そこに現れたのは敵方の逸見藤太の一行。義経の恋人の静御前と初音鼓を発見し、思わぬ獲物を得たと喜び勇む。しかし、そこにやってきた義経の家来(先ほどとは別の)、佐藤忠信は、主君の大切な人と大切な鼓を敵方に渡してなるものか、と、大立ち回りを演じ、並み居る敵兵どもをやっつけ、逸見藤太を怪力でもって踏みつけると、藤太は眼玉が飛び出して(!)死んでしまうのだった。右の絵の奥が静御前、その下が義経、その右が弁慶、その下が忠信で、踏みつぶされているのが藤太だ。

この段では弁慶は義経に責められて謝罪をする(弁慶が頼朝方の武将を殺してしまったために、義経は兄頼朝と仲直りするチャンスが断たれてしまい、そのことで怒っている)だけで、勇ましい見せ場はない。

義経も別にどうということはなくて、断然かっこいいのは忠信だ。仁王様のように背中にぶっとい綱を背負った勇ましいいでたち、逆立つ髪型、白地に赤があでやかな顔の隈取、腕にも足にも隈取があって筋肉が強調されているのがキッチュでど派手で、これぞまさに傾きもの!

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この忠信はときどき不思議な神通力を発揮するのだが、最後に花道を去る場面になって、その理由が見えてくる。ときどき手を変な形にすることから、実は忠信に化けた狐であることがわかるのだ。その狐は、実は初音の鼓に使われた母狐の子どもで、母を慕って初音の鼓のもとに現れたのだった。

これぞ歌舞伎!という過激にド派手な源九郎狐、忠信。いいなー。踏みつぶされた藤太から目玉が飛び出すシーンも笑えるグロさとキッチュさ加減がたまらなく好き!

次は元禄忠臣蔵「御浜御殿綱豊卿」の場面。お浜御殿とは現在の浜離宮。綱豊卿とは、三代将軍家光の孫であり、その当時の将軍、五代綱吉の甥に当たる、徳川綱豊(のちの代6代将軍、徳川家宣)だ。お浜御殿は綱豊卿の御殿であり、後に徳川将軍家の別荘となる。

その日は江戸城の奥女中たちが浜遊びをするということでお浜御殿は賑わっている。きれいな女中たちを隙見(すきみ=のぞき見)させてくれないか、とお浜御殿に仕える女中お清(絵では綱豊の下)に文を寄越したのは、兄の赤穂浪士・富森助右衛門(絵の左下、格子柄の着物)だった。それを知った綱豊(絵の右奥)は、助右衛門の真の狙いに気づく。その夜は吉良上野介もお浜御殿に招かれていた。助右衛門はおそらく、主君浅野内匠頭を切腹に追いやった敵、吉良上野介の顔を、仇討に備えて確認しようというのだろう。

殿中で刀を抜いた浅野内匠頭は短慮であったかもしれないが、普通なら喧嘩両成敗となるところ、浅野内匠頭だけがその日のうちに切腹を命ぜられ、原因を招いた吉良上野介は何のお咎めもなし。これはあまりに不公平ではないか、と江戸の人々はささやきあった。取りつぶされた浅野家に仕えていた武士たち、今は浪人の身となった彼らが仇討に出るのでは、との噂もしきりだった。

綱豊卿は迷っていた。浅野家再興の願いが出されており、それを将軍に上奏するのが自分の役目であることはわかっていた。しかし、それで本当によいのか。このような状況のもとにあっては、主君の仇を討つことこそ、武士の本懐を遂げることではないのか。赤穂浪士たちは吉良を討つつもりなのではないのか。もしそうであれば、浅野家を再興することはむしろ仇討の正当性を奪うことになってしまう。お家再興がなったとなれば、もう仇討ちの「義」はない。綱豊自身も武士の血が騒ぐような思いで、赤穂浪士に本懐を遂げさせてやりたい、という気持ちを、捨てきれずにいるのだった。

迷う綱豊は助右衛門の腹を探ろうとする。助右衛門はもちろん仇討をする覚悟だが、事前にそれが発覚してはまずいし、仲間を裏切ることにもなるので、死んでもそのことは言えない。浅野家の家臣の筆頭である大石倉之助が遊び呆けているのは、吉良を油断させるための演技ではないのか、と問う綱豊に、助右衛門は逆に言い返す。綱豊が遊び人の振りを装っているのも、五代将軍綱吉に変に目をつけられないようにするための演技なのではないか、というのだ。そして、それは図星なのだった。

なんとか真意を引き出そうとする綱豊と、意地を張り通す助右衛門の掛け合いが興味深い。微妙な心理のひだが細かく描かれているのは、この新歌舞伎の作者、真山青果の特徴だという。江戸時代につくられた仮名手本忠臣蔵と違い、この元禄忠臣蔵は昭和になってからつくられたもの。昭和一桁の母はリアルタイムで真山青果の活躍した頃を知っているという。

その敷居を越えてこちらの部屋に入っておいで、といくら綱豊に招かれても、頑として入ろうとしなかった助右衛門が、最後の最後に思わずその敷居を越えて叫ぼうとする言葉を途中で飲み込む、苦渋の思いとともに……という場面など、その辛さにこちらも感情移入してしまう。

そんな異なる2つのタイプの歌舞伎を観て、あー大満足。

新春浅草歌舞伎だけあって、着物を着た観客が何十人も、ほんとにたくさんいたのにも感動。

日本の伝統文化、まだまだしっかり存続していけそうだ。

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浅草公会堂は3等席なら3000円と、お手頃価格。ぜひ多くの人に見てほしい。