沖縄最高の聖地、斎場御嶽

琉球王国最高の聖地、斎場御嶽(せーふぁーうたき)に行ってきました。

大庫理(ウフグーイ)

この御嶽(うたき=聖地)の中には6つのイビ(神域)があります。そのひとつがこのウフグーイ。

琉球王国では政治と祭祀が一体となっており、最高の神職である「聞得大君(きこえのおおきみ)」には国王の妹など王族の女性が就任するのが常でした。その就任儀式である「お新下り(おあらくだり)」がこの斎場御嶽で行われたことは、この場所の重要性を物語っています。

イビの間を巡る道
先の大戦時に艦砲でできた穴
寄満(ゆいんち)

2番目のイビ、ユインチ。

3番目のイビ、シキヨダユルアマガヌピー(奥側)と4番目のアマダユルアシカヌピー(手前側)

上の鍾乳石から聖なる水が滴り落ち、壺の中にたたえられています。

5番目のイビ、三庫理(サングーイ)は、この三角形の空間を通り抜けた突き当りの岩を指すとのこと。普段は通り抜けられるこの空間は密を避けるためとのことで、入ることができませんでした。6番目のイビ、チョウノハナは右側面の四角い石が並んでいる辺りを指すようです。

日本の神様は太陽の神、月の神、山の神、海の神など、そのほとんどが自然を象徴するもの。つまり、神道の根本は自然崇拝だといえます。時代が下るにつれ、神様たちの物語がつくられたり、その社が建造されたり、あるいは彫像がつくられたりしていきますが、そもそもはただ自然を崇拝するものであったはず。そんな神道の原型が沖縄には残っているように思います。

立派な建物で権威を誇示しようとか、きらびやかな装飾で人目を魅了しようとか、そうした姑息な思惑とは一切無縁の、何もない空間。この清らかさ、清々しさ。自然を大事にすると同時に、物質よりも精神、魂を大事にする日本人本来の精神性が、ここ沖縄には原型のままで残っているような気がします。

斎場御嶽への古来からの参道は土砂崩れしやすく、巡礼の人々が両手に聖なる道具を持って登ってこようとして転ぶ事故が多発したため、現在は通行止めになっているそうです。

斎場御嶽を含む聖地巡礼は「東御廻り(あがりうまーい)」と呼ばれます。沖縄では東を「あがり」、西を「いり」と呼ぶため、西表島はいりおもてじまと読むわけです。その理由は、東は日が「あがる」方角で、西は日の「入る」方角だから。むずかしく感じるうちなーぐち(沖縄の言葉)ですが、標準語との関連がこのように明快な部分もあります。言語学的にも沖縄の言葉は日本語のひとつのバリエーションであるとされていますが、それを改めて確認したことでした。

聞得大君の就任儀式「お新下り」を詳しく説明するパネル↑。

準備に何カ月もかけて盛大に行われたことが記されています。

「神前に供えたお水を、ノロの指先で大君の額に三度付けます。……聞得大君は心身ともにすっかり清められ……神位を継ぎ、神霊を授かった聞得大君はこの瞬間から神と同格になります……」

今はもう失われてしまったそんな儀式にふさわしい、神秘的な雰囲気が斎場御嶽には漂っている気がします。

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