沖縄、アマミチューの墓とシルミチュー、大石林山で考える琉球神話

アマミチューとシルミチューというのは琉球を開闢した男女の神様であるとされています。その大事な聖地が沖縄本島にほど近い小島(現在は道路でつながっている)浜比嘉島にあります。

アマミチューの墓へ向かう道
アマミチューの墓へ向かう道
アマミチューの墓へ向かう道
アマミチューの墓

墓石があるわけでもなく、四角い石の香炉と青銅っぽい香炉があるだけのシンプルさ。ほとんど何もないのが沖縄らしい清らかさを感じさせます。

アマミチューの墓へ登る階段

ここから1kmほど離れたところには「シルミチュー」があります。

シルミチューへ続く階段
シルミチュー
シルミチュー
シルミチューに続く階段

シルミチューもほとんど洞穴があるだけのシンプルな聖地です。(階段には珍しく鳥居がありました)

何もないことの清々しさに、物質よりも心を重んじる日本人本来の精神性が現れていてると感じます。

ところで、どうして「アマミチューの『墓』」と「シルミチュー」であって「シルミチューの『墓』」ではないのでしょうか。これだけ近くにあって、対となる聖地なのに、この半端さはなんなのか……。わたしなりに考えた結果、ひらめいたのは、アマミチューは亡くなっているけれど、シルミチューは生きている、ということです。亡くなったから「墓」があるけれども、生きていれば「墓」は存在しようがありませんから。そこでまたひらめいたのは、開闢の神様で片方は亡くなっている、となると、これはもしやイザナギ、イザナミと同根の神様なのでは? ということです。どちらが男性でどちらが女性なのか、現地ではわからなかったのですが、後から調べるとアマミチューが女神であるとのこと。イザナミが火の神を産み落とすときに火傷を負って命を落としたことと通じるようにも思われます。琉球の神話にはそんな話はないようですし、誇り高き沖縄の人々は本土の神話と一緒にされたくないかもわかりませんが、同根の物語が地方によって細部を変えて伝えられているのは世界的にもよくあることです。この神話もそうである可能性は十分にあります。わたしの勝手な推測ですが、琉球と大和とのつながりがこんなところにも隠されているように思えました。

ただし、「イザナギ、イザナミ」と男性の神様を先に呼ぶのに対し、「アマミチュー、シルミチュー」と女神を先に呼ぶところに、沖縄らしさが出ているとも感じます。沖縄では、神に仕え祭祀を取り仕切るのも「祝女(ノロ)」と呼ぶ女性ですしね。

もう1か所、アマミチューにまつわる聖地に行ってきました。それが沖縄本島の北端にある「大石林山」です。

奇岩、巨岩、岩山と熱帯植物との組み合わせが独特の風景を作り出しています。

展望台
ガジュマル
ガジュマル

まだ地上世界が何もなかったとき、天帝の命を受けたアマミチューが初めてつくった土地がこの国頭(くにがみ)の辺土(へど)の安須杜(あすもり)だったのだそうです。琉球開闢神話を説明する看板は下のとおり。

アマミクとアマミチューは同じ神様のようですが、ここではなんとシルミチューが出て来ないのです。アマミチューとシルミチューが琉球開闢の神様とされているのに、これは一体どうしたことでしょうか。

はっきりとはわかりませんが、おそらく琉球神話にもいくつかのバージョンがあるのでしょう。琉球では文字のない時代が長かったようですから、口伝で伝えられるうちに、さまざまなバージョンが生まれたのではないでしょうか。

天帝の御子の男女からは、わたしはアマテラスとスサノオを連想しました。また、その男女の間に生まれた長女は最高女神のはじめとなり、二女は祝女(ノロ)のはじめとなった、というところには、女性は聖なる存在であるという沖縄独特の世界観があるように感じました。