日光旅行☆田母沢御用邸でタイと日本の精神文化を考える

タイ人の友人を案内して日光に行ってきました。

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まずは高さ97メートルの迫力あふれる華厳の滝へ。水しぶきに陽が差して、虹がかかっていました。

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華厳の滝にほど近い「船の駅中善寺」から遊覧船に乗って中禅寺湖クルーズ。

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向こうに見えるのが男体山です。

男体山の山頂には二荒山(ふたらさん)神社奥宮が、東の湖岸近くには、二荒山神社中宮祠(ふたらさんじんじゃちゅうぐうじ)が、そして日光市内には二荒山神社本社があります。

そもそもはこの二荒(ふたら)という言葉の音読み(にこう)から「日光」という地名ができたともいわれており、二荒山=男体山こそが、東照宮などができるよりもはるか古い時代から、この地域の重要な山岳信仰の対象であったことがわかります。

男体山の山頂は高さ2486m。関東でも有数の高い山であり、この二荒山の神様と、赤城山の神様とが美しい中禅寺湖を領地にしようとして争った場所こそが、この中禅寺湖の北に位置する「戦場ヶ原」だといわれています。

中禅寺湖の湖岸の「菖蒲ヶ浜」も、二荒山の神様と赤城山の神様との勝負がついた場所であり、もともとは「勝負が浜」だったとのこと。わたしたちはこの菖蒲が浜で船を降り、龍頭の滝に向かいました。

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↑こちらが龍頭(りゅうず)の滝。

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湖岸を車で戻って二荒山神社中宮祠へ。ご祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、味耜高彦根命 (あじすきたかひこねのみこと) です。

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なぜか遅咲きの桜の一種が咲いていて、タイの友人は大喜び。

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さざれ石

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東国三ツ葉躑躅(トウゴクミツバツツジ)?

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芍薬(しゃくやく)

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牛石

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神聖な山なので、牛馬に乗っては登れないし、昔は女性も入山禁止だったとのこと。

「今の時代に生まれてよかったわ~。石にされずに済んで!」と言うタイの友人はゲイなのでした。気持ちは女性なのでね(笑)。

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いろは坂を降り、旧田母沢御用邸記念公園へ。

ここは病弱だった大正天皇を静養させるために明治天皇がつくられた場所。

昭和天皇も今上天皇もかつてはここで過ごされたことがあります。

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↑こちらは天皇陛下の謁見の間。

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↑こちらはお手洗い。畳敷き!

お湯殿の写真をうっかりして撮り忘れてしまったのですが、木の床があるだけで、浴槽も何もないのでした。

これは「清(きよ)」=清らかなもの、と「次(つぎ)」=そうでないものの区別を厳密に分けるという皇室の生活習慣から来ています。上半身は清、下半身は次。もしも浴槽に肩まで浸かったら、清と次が混じってしまいますから、そうすることはできません。そのため、真冬でも浴槽には浸からず、たらいに下半身だけ浸かって、上半身にはお湯をかけるだけ、という入浴法になるのです。

「えー、真冬でも浴槽に浸かれないなんてお気の毒!」「大変だねー」などという反応が、日本人からは返ってくるところですがタイ人にこの話をすると「うん、わたしもおんなじ。タイ人もみんな浴槽には浸からないから」と、平然とした反応が返ってきました(笑)。常夏の国タイでは、浴槽に浸からず水浴びが常識なので(笑)。

皇居の中の宮中三殿に奉仕する女官などは現在も、この清と次を厳密に分ける生活習慣を守って暮らしているという話を聞いたことがありますから、これは神道の文化なのだと思われます。一般の日本人は「清と次」などという言葉を知りませんし、そんなにまで厳密にその2つを分けているわけではありません。しかし、この「清と次」を峻別する精神文化は一般の日本人のDNAの中にも浸み込んでいて、日本人の清潔好き、そして、あらゆることにきっちりと境目をつけて区別する国民性となって表れている、とわたしは見ています。

タイ人はしばしば玄関の外で靴を脱いでしまい、靴下で玄関のタタキに入ってきたりするので「靴は玄関の中で脱いで。脱いだらすぐに床に上がって。そうでないと靴下が汚れてしまって、汚れた靴下で上がると家も汚れてしまうでしょ?」と説明しても、なかなか理解してもらえなかったり、理解してもらえたように見えても、すぐに忘れて同じことをしているのを見かけます。日本人は決してしないことです。

日本もタイも、必ず靴を脱いで家に上がる、という同じ文化を持っているようでいて、細かな部分で違いが出てくるのは、根源に神道の文化があるかどうかの違いなのだと思います。

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田母沢御用邸の建物の一部は東京にあった紀州徳川家の中屋敷を移築したものだそうで、立派な襖絵などが残されています。

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病弱で時に生死の境をさまよう我が子(皇太子時代の大正天皇)を心配し、ここで静養させた明治天皇ですが、明治天皇ご自身は侍従から避暑を勧められても、決して行こうとはしませんでした。「皇居の外の路上を見よ。老いた車夫が、背中に玉の汗を浮かべて、働いているではないか(一般の国民がそのように炎天下でも苦労して働いているのに、なぜ自分一人がのうのうと優雅に避暑地で過ごすことができようか)」という意味のことをおっしゃったと伝えられています。

歴代の日本の天皇はこのように、いつも国民の生活に心を馳せ、国民と労苦をともにしようと心を砕いてこられました。マリー・アントワネットの「パンが食べられないならお菓子を食べればいいじゃないの」に代表されるような、民衆の苦労を考えない西洋の貴族や王様とはまったく違った存在なのです。身分の上にあぐらをかくことを決してせず、常に国民を宝と思い、あるいは自分の子どもと思って慈しむ……そんな天皇陛下をいただく国に生まれた幸せを、わたしたちはもっと噛みしめていいのです。

タイの国王陛下が亡くなったとき、タイの友人は会社帰りのバスの中でそのニュースを聞いたそうです。バンコクのそのバスの中にいた人たち全員が泣きはじめ、中には大声をあげて泣いている人もいた、と話してくれました。王様を慕うという点でタイ人は心をひとつにし、固く結束することができる……これは非常に大きなことです。それこそがタイという国の強みといえましょう。日本も戦前は天皇陛下を中心にして国民が固く結束していたのに、日本を弱体化しようとするアメリカの企みにはまって、天皇陛下を慕うことは戦前に回帰することであり、危険なことであるかのように思いこまされてしまいました。

このアメリカが仕掛けた罠に気づいてほしいし、天皇陛下のありがたさをもっと多くの人に知ってほしいと思います。

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1日目の最後は東照宮へ。

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国宝の陽明門は普通の日本人の感覚からはちょっとゴテゴテしすぎの気もしますが、この装飾過剰具合がタイ人の美的感覚とは合うようで、「きれい! きれい! すごーいきれい!」と感動しまくっていました。

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唐門

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見ざる聞かざる言わざる

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五重塔

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こちらは二荒山神社の神橋。奈良時代に日光を開山した勝道上人が大谷川を渡れずに困っていたところ、向こう岸に夜叉が現れました。その夜叉が投げた2匹の蛇が、この神橋となったと伝えられています。

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神橋の下には清らかに澄んだ水が流れていました。