品川神社のお祭りと神楽

6月の第1週の土日はわたしの地元、品川神社の例大祭が行われる。氏子の勤めとして(?)お祭りに行ってきた。

品川神社はそんなに大きくも有名でもないが、お祭りはかなりの人出でごった返す。

IMG_2432出て行く提灯の行列

この提灯行列は、神社の外を巡行している神輿のための照明として夕暮れに備えて出動するところ。

舞台では神楽を上演中。ちょうど昨日、雅楽の講演会に行ってきたこともあり、こうした古典芸能が気になる。

IMG_2437神楽1

舞台の左端の解説係がときどき説明をしてくれるのだが、声が小さくてよく聞こえない。内容を知りたくて質問しに行ったところ、演目は「天之返矢(あめのかえしや)」というもので、古事記に基づいたお話だとわかった。

芦原の中つ国を平定しようとした天つ国の神々が、第二の使者として派遣した若日子(わかひこ)が、上の写真の舞台中央にいる男性。その右がおそらく大国主命(おおくにぬしのみこと)の娘の下照姫(したてるひめ)。若日子は下照姫を好きになってしまい、自分の役割を放棄してしまう。そこでしかたなく、天つ国から雉(きじ)が迎えに来る。写真にはないが、雉は迦楼羅(かるら。仏教の守護神で鳥の顔をした神様)のような顔に赤い毛の生えた面を付けている。

雉が若日子を連れて行こうとするが、若日子はいやがり、ついに弓矢で雉を射抜いてしまう。すると雉は自分の胸にささった矢を引き抜き、それを若日子に投げつける。その返し矢によって、若日子もまた死んでしまうのだ。その弓矢が登場してからの場面は所作ではっきりとストーリーがわかるので、突然の急激な展開に驚かされた。

IMG_2438神楽2それに続いておかめとその従者によるおもしろおかしい所作の舞いがある。これは、殺し合いの場面で終わるのは不吉なので、最後は楽しい気分で終わってもらおう、という意図で付け足されているのだそうだ。

IMG_2440葵の神輿

これは宝物殿に展示された葵神輿(あおいのみこし)。徳川将軍家の紋章である葵の御紋がバッチリと入っている。徳川家康はあの関ヶ原合戦に赴く前にこの品川神社で勝利を祈念したのだった。そして勝利した後、そのお礼にと、この神輿を奉納したのだ。

IMG_2441葵の神輿解説パネル

祭りといえば神輿。これが神輿の巡行図。IMG_2425神輿の巡行略図

昔(わたしの祖母がお嫁に来た頃=大正時代)はこの辺りは海が近かったため、神輿は海に入ったりもしたそうだが、今は埋め立てが進んで海ははるか遠くに行ってしまった。IMG_2462品川神社神輿の宮入

品川神社の石段はかなり急勾配ですが、最後はそこを神輿が昇っていく。この神輿の宮入(みやいり)が祭のクライマックスだろうか。夜7時半ごろ。

IMG_2465北品川商店街の神楽

品川神社からすぐの北品川商店街は、東海道の品川宿だった場所。お祭りのときは商店街にも臨時屋台が出たり、お神酒所が設けられたり、法被や浴衣姿の老若男女が繰り出して、街全体が賑わう。通りの何か所かにこうした舞台?が設けられ、お囃子の演奏も行われる。高齢化の進む中、若い人も交じっているのがうれしい。いつまでもこうした芸能を伝えて行ってほしいものだ。