筑波山神社に参拝~関東平野を一望に

余っている青春18きっぷを有効利用するため、関東周辺で遠出しようという話になり、筑波山神社に行くことにしました。秋葉原まで来て初めて「つくばエキスプレス」がJRでないことに気づいたわたしたち。相変わらずの間抜けぶりを新年早々発揮しつつも、気を取り直し、せっかくなので初志貫徹して筑波山神社に行ってきました。

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古事記・日本書紀よりも古い書物である「ホツマツタエ」によると、筑波山はイザナギ・イザナミが新婚生活を送った地だとされているそうです。筑波山の山頂は、2つの峰が連なっており、女体山に伊邪那美命が、男体山には伊邪那岐命が祀られています。

イザナギ・イザナミは筑波山で長女であるヒルコヒメをもうけたのですが、ヒルコヒメは船に載せて川に流してしまいます。その理由は、古事記では蛭子であったため(蛭のような奇形であったため)、とされていますが、ホツマツタエでは、両親の厄年に生まれたためとされています。両親の厄年に生まれた子どもは、そのまま育てると親の厄を引き継いでしまうため、一旦捨て子とし、他の人に拾って育ててもらう、という風習が日本にはあったのです。誰に拾ってもらうかは、予め決めておいたようです。

この話を母にしたところ「わたしも!」というので、何事かと思ったら、母も親の厄年に生まれたため、捨て子にされた経験があるというのです。捨て子といっても、一度地面に置いて捨て子にしたフリをし、すぐにまた拾って、その日にうちには元通り家に戻って来たそうですが。一旦他人に拾ってもらったのかどうかは、母も定かではないとのことでした。

いずれにせよ、1500年以上前の風習を、つい昭和初期まで日本は引き継いできたというのは、すごいことですね。

img_5072筑波山神社の参道にあるこの橋は、三代将軍、徳川家光が建てたという神橋です。筑波山は江戸から見て鬼門にあたる北東の方角にあることから、徳川家から崇敬され、手厚く保護されてきたそうです。

img_5075筑波山にゆかりの深い倭建命の像。

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拝殿。

img_5097筑波山を詠んだ歌は、万葉集の中に二十五首も収められてているとのこと。境内にはいくつもの歌碑が建てられていました。この碑は万葉仮名も併記されています。

歌碑の並ぶ山中を少し歩くと、ケーブルカーの駅へ出ます。ここから標高800mの御幸ヶ原と呼ばれる地点までケーブルカーで登れます。

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御幸ヶ原は展望台のようになっていて、360度のすばらしい眺望が楽しめます。昭和天皇の歌碑もありました。

img_5105御幸ヶ原から、伊邪那岐命(イザナギノミコト)を祀る男体山へ300m、伊邪那美命(イザナミノミコト)を祀る女体山へは600mの道のりです。img_5109

女体山へ上る道の途中、「がま石」と名付けられた巨岩。首を後ろにひねったポーズを真似してみました。この辺りは万病に効く「がまの油」の産地として有名だったようで、あちこちにがまガエルの置物や像がありました。

道はだんだんに険しくなり、最後は岩ばかりになってきます。運動靴で来なかったことを後悔。

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やっとたどり着いた女体山の山頂の本殿。

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霞ヶ浦がくっきりと美しく、また水田や市街地、低い丘陵など本当に遠くまで見えます。まさに関東平野を一望のうちに見渡せる眺めは感動的です。

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こちらが伊邪那美命を祀る男体山の本殿。

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帰りのケーブルカーの到着地点では東京スカイツリーや新宿の高層ビル群までもくっきりと見えました。

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再び拝殿の前を通り、「筑波山神社」のバス停まで行くと、最後のバスは終わっていて、「筑波山口」というバス停まで約45分の道のりを歩く羽目に陥りました。終バスが早いのでみなさん注意しましょう。

img_5136かげでバス停までの道のりでは夕焼けに映える富士山を堪能できました。山腹から山裾に降りてくるにしたがって、富士山は次第に小さくなるのが不思議。

伊邪那岐、伊邪那美の命も、この同じ光景をご覧になったことでしょう。いつまでも日本が八百万の神々に守られた地でありますように。