皇室研究会 春の遠足☆旧朝香宮邸など

「皇室研究会 春の遠足」に参加して旧朝香宮邸(現庭園美術館)、ねむの木の庭(皇后陛下ご実家跡地)などを巡ってきました。講師の村田春樹先生が由緒や歴史を解説してくださいます。
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 埼玉県朝霞市の名前の由来は、朝香宮さまだったという話にはびっくり。ゴルフがお好きだった朝香宮鳩彦(あさかのみややすひこ)さまは最初は駒沢にあるゴルフクラブに通っていらっしゃいましたが、ゴルフクラブが郊外に引っ越すにともなって、埼玉県の脛折村に通うようになりました。脛折村が市に昇格することになった際、「脛折(すねおり)」という名前は今一つパッとしないということで、ゴルフクラブによく通っていらっしゃる朝香宮さまのお名前を拝借しよう、ということになったそうです。漢字まで同じだと畏れ多いので、「香」でなく「霞」の字を使うようにしたとか。
朝香宮鳩彦王は久邇宮朝彦親王の王子で明治天皇の皇女允子内親王とご結婚し、朝香宮を創設された方。フランスを旅行中に自動車事故にあわれ、1年間療養をしていたときに、当時流行していたアールデコ様式がお気に召して、それでご自宅をアールデコ様式で建てられたのが、現在に残る庭園美術館の建物、というわけです。
ここは、江戸時代には高松藩松平家の下屋敷だった場所。上屋敷は政治を執り行う場所なので江戸城の近くにあり、下屋敷は別荘のようなもので場合によっては野菜などをそこで自給したりしたため、少し郊外にあって、敷地が相当に広くなっています。この広い敷地を利用して明治になってからは陸軍の火薬庫にされていた時代もあったそうです。(万が一爆発しても周囲に影響がないよう、火薬は広い場所に保管する必用があるので)
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池田山公園は岡山池田藩の下屋敷だった場所。ちなみに上屋敷は今の丸ビルのある場所だそうです。池田山公園は、今は池を中心にした小さな日本庭園ですが、当時はずっと広い敷地を擁していました。池田家の祖先は織田信長や豊臣秀吉に仕えた池田輝政。この人は播磨姫路藩の初代藩主として姫路城を改築し、現在の白鷺城と呼ばれる姿にしたことでも有名です。輝政が徳川家康の娘、督姫との間に設けた次男の忠継が、備前国岡山藩の藩主となり、以後岡山藩は池田氏の治世が続きました。後の藩主綱政は日本三大名園に数えられる後楽園をつくったことでも有名です。
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明治となり、士農工商が廃止されると、江戸時代の大名は「華族」となりました。江戸時代の公家と大名を「公候伯子男」の爵位に割り振るという大変な作業を仕切ったのは柳原前光(やなぎはらさきみつ)。明治天皇の側室で大正天皇の生母である柳原愛子(やなぎはらなるこ)の兄であったため、あまり文句を言う人もなく(全然いなかったわけではないようですが)なんとか落ち着いたのだそうです。
池田家は侯爵に叙せられ、池田隆政侯爵には今上陛下のお姉さま厚子内親王が嫁がれています。
華族には公家華族(もともと天皇家と血のつながりの深い貴族)と大名華族(江戸時代の大名)、さらに新華族(戦争で武勲を立てた人などを新たに叙した)とがありました。日清日露戦争などで新華族が増えたため、終戦時には千以上の家があったとのこと。伯爵となった乃木さんも新華族ですね。
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池田山公園近くの「ねむの木の庭」は皇后陛下美智子さまのご実家跡地。相続税として国に物納されたこの地には、風情ある大正時代の和洋折衷建築が残されており、皇后陛下のご実家でもあることから、それを残そう、という運動も一時期は盛んだったそうです。
しかし、講師の村田春樹先生に言わせれば、香淳皇后(昭和天皇お后)も貞明皇后(大正天皇お后)も昭憲皇太后(明治天皇お后)も、その実家が保存されていないのに、美智子さまのご実家だけ残すのはおかしい。歴代の皇后陛下はみな先代に倣ってきたのだから、家を残す必要はない、とのこと。そう言われればそうかもしれません。
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跡地には美しい草花や木々が植えられており、その間には、皇后陛下の詠んだ和歌が記されたプレートが立ち並んでいます。プレートのすぐそばに、詠まれた草木が植えられており、情景がより鮮明に伝わってくるよう工夫されています。
「てのひらに君のせましし桑の実の その一粒に重みのありて」
「わが君のいと愛でたまふ浜菊の そこのみ白く夕闇に咲く」
「つばらかに咲きそめし梅仰ぎつつ 優しき春の空に真むかふ」
皇后陛下の御歌の一首一首はみずみずしい感性溢れるもので、改めてその才能に敬服させられました。
近くにあるインドネシア大使館では、国旗と国章の話などを解説いただきました。インドネシア大使館の門に掲げられている国章は神鳥ガルーダに他の文様を組み合わせたもの。どこの国にも国章があるのに、無い国が世界でただ2つだけあり、それが日本とフランスなのだそうです。
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各国の国章が見られるのは大使館の門、そしてパスポートの表紙。日本のパスポートの表紙には菊の御紋が付いていますが、皇室の紋章が十六花弁の八重菊であるのに対し、パスポートの表紙は一重菊、という違いがあるそうです。いずれにせよ、菊のご紋章は本来皇室の紋章であるのだから、国章は「桐紋」にすべきなのでは、というのが村田先生のご意見でした。豊臣秀吉なども使った桐紋ですが、日本国政府の紋章としても用いられているのだから、これがもっとも適当なのでは、とのこと。わたしは不覚にも全然気が付いていませんでしたが、総理大臣が会見するときなど、マイクの下に桐の紋が掲げられているのですね。
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国名についての話も印象に残りました。
「ネシア」というのは島々という意味で、小さい人々がいる島々はミクロネシア、メラニン色素の多い=色の黒い人々がいるのはメラネシア、インドの近くの島々がインドネシア。西洋人がいともテキトーに付けた名前を国名としてずっと使い続けなければならない、というのは悲しい話です。
また、フィリピンという国名はこの地を征服したスペインのフェリペ2世の名前にちなんでいるとのこと。これも知らなかったので衝撃でした。これは屈辱的といっていいでしょう。
国名を自分たちで付けることができたということは、当たり前のようで、実は誇らしいこと。先人たちが他国の侵略を許さず日本を守って来たからこそできたことなのだということを改めて考えさせられました。
3時間近くテクテク歩いてくたびれたけれど、楽しく、かつ実りある1日でした。講師の村田先生、ご一緒いただいたみなさま、ありがとうございました。

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