梅満開、弘道館と偕楽園(2)

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偕楽園に行く途中、常盤神社に寄りました。ここは義光(水戸光圀)、烈公(水戸斉昭)をご祭神としてお祀りしている神社です。

ゆかりの資料を集めた義烈館には時間がなくて寄れませんでしたが、ここに展示されている大砲はペリー来航の際につくられたお台場に配備されたのと同じもの。当時74門が水戸から献上されてお台場に配備され、その1門だけが水戸に残されたのだそうです。

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境内では梅の盆栽が販売されていました。

さて、いよいよ偕楽園です。偕楽園は弘道館と対をなす施設として構想されたもの。弘道館で文武に励んだ後は、偕楽園で心と体を休める、という「一張一弛」を斉昭は奨励しました。

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これが表門↑。駅に近い東門のほうが栄えていますが、ここから入るのが正式です。

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表門から入るとしばらくは孟宗竹の竹林が続きます。静謐な雰囲気です。

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吐玉泉。眼病に効くといわれる湧水で、この湧水が園内の好文亭の茶室でも利用されていたといいます。

斉昭が大理石の石盤から湧き水が流れ出るようにして設置したものですが、現在の石は4代目とのこと。

飲んでみたら、とても柔らかでおいしい水でした。手が痺れるような冷たさがないのは、地下水だからなのでしょう。

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好文亭。「学問を盛んにすれば梅はよく咲き、学問を怠ると咲かなくなる」という中国の故事から「好文」は梅の別名とされています。

梅の花を好んだ斉昭が、文人墨客や家臣、領民などをここに招いて、詩歌などを楽しんだといいいます。

戦災で焼失したものが、昭和33年に復元されたものだそうで、ひとつひとつの部屋に美しい襖絵が施されています。

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秋草の間(?)

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桜の間。

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紅葉の間。

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松の間。

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竹の間。

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梅の間。

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好文亭から見える景色。遠くの千波湖が借景となっています。

大名庭園によくある池が偕楽園の中にないのは、この千波湖があるためです。

三階まで登ると、梅園を見下ろす眺望が素晴らしいそうですが、あまりに混雑しているので断念。

偕楽園は、生い茂る竹林や杉林の「陰」と、明るく開けた梅林の「陽」とを対比させる構成になっています。

3000本の木からなる梅林は見事ですが、わりと平坦なので、日本庭園というよりも果樹園のような雰囲気。どちらかというと弘道館の庭のほうが風情があると感じました。とはいえ、変化に富んだ梅の品種が目を楽しませてくれます。

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梅の木は百年以上経つと、このように↑捻じれてくることが多いそうです。幹のねじれ具合が豪快で味わい深いものがあります。

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見驚(けんきょう)↑ 濃い紅のガクと薄ピンクの花の組み合わせが愛らしい。

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白加賀(しろかが)↑ 実梅(実が多くなるタイプの梅⇔花梅)の代表的な品種。

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八重寒紅(やえかんこう)↑ 桃の花のような色合い。

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月影(つきかげ)↑ 淡いグリーンのガクが涼しげで、まさに月のよう。

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酈懸(てっけん)↑ これは花びらが散った後ではなく、花びらが退化し、しべとがくだけという珍しい花。別名茶筅(ちゃせん)梅。

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東雲(しののめ)↑

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思いのまま↑ ひとつの幹から白っぽい花と薄紅の花が咲いており、白っぽい花の中にもかすかに紅の絞りが混じっている珍しい梅です。ほんわりした色合いが乙女チック。

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白難波(しろなにわ)↑ 偕楽園の六名木のひとつ。

梅干しは兵糧や飢饉の際の非常食として重宝することから、実用を重んじる斉昭は領内にたくさんの梅を植えさせました。梅に多くの薬効があることも斉昭はよく知っていたと思われます。また、春、寒さに耐えて他のどの花よりも早く咲く梅は「百花の魁(さきがけ)」といわれます。その象徴的な意味合いに、先進的な政治で日本の魁たらんとした自らの志を、斉昭は重ねて見ていたに違いありません。