御柱祭に隠された古代史~縄文と弥生の神の闘いと融和

昨日のNHKスペシャルは御柱祭にまつわる古代史がテーマでとても興味深かった。

御柱祭が開催されるのは7年に一度。山から切り出した樹齢200年の樅(もみ)の巨木に、藤蔓をつけ、町中総出で1日かけて道を引いていく。

クライマックスは急斜面を滑り落とす「木落し」。最後は4つの社から成る諏訪大社の、それぞれの四隅に御柱を立てる。

この御柱と同じように、藤蔓のようなものを差し込んだとみられる穴がある木の化石は日本の他の地方でも見つかっているという。

御柱祭のような巨木崇拝の風習がかつては日本各地にあったことを示唆するものだが、現在も祭として残っているのは諏訪地方のみだ。

諏訪は矢じり等に加工のしやすい黒曜石の産地であり、縄文時代には、現在のアラブの石油王のように黒曜石の貿易で非常に豊かであったという。

それもあってか、縄文文化を頑なに守り抜こうとしたらしい。

というのは、九州から数百年かけて北上してきた弥生の水田稲作文化は諏訪地方を前にして北上を止めてしまうのだ。

そして結局迂回して青森から入り、そこから南進する形で東北と関東へと広がっていったのだという。

諏訪が水田稲作文化を受け入れたのは日本で最後であり、文明の発達が遅れていたということではなく、断固とした意志でその受け入れを拒否していた様子がうかがえるという。

諏訪の御柱祭を明治時代まで代々ずっと司ってきた祭祀長のような役割をする家柄が諏訪にはあり、守谷(もりや)家というのだが、その庭には土着の神を祀る祠がある。

その神は木や石の神とされ、“ミシャグヂ”と呼ばれる。諏訪にはミシャグヂを祀る祠が数百(?数千?)もあり、その総社が守谷家の敷地内の祠だ。

一方、諏訪大社のご祭神は建御名方(たけみなかた)の神。古事記によれば、建御名方は出雲の国を治める大国主の次男だ。

出雲は、天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先立ち、武甕槌命(たけみかづちのみこと)に国譲りを迫られるが、建御名方はそれに反対し、武甕槌命に戦いを挑むが負けてしまう。

そして逃げ延びた先が諏訪なのだという。

しかし、諏訪には縄文文明の狩猟の神モレヤがいた。

モレヤと建御名方との争いで、建御名方は勝利を収め、モレヤはその家来となった。

古文書に「洩矢」と記されるその神こそが、今に続く「守谷」家の祖であると考えられる。

出雲から来た水田稲作文化と、諏訪に栄えた縄文文化が、この地でぶつかり合い、縄文の神は弥生の神の家来となりながらも、そのまま旧来の信仰をも守った。

太古の縄文文化を今に伝える御柱祭には、そんな神々の戦いと融和の古代史が隠されていたのだった。

1件のコメント 追加

  1. 德仁 より:

     縄文時代より、弥生、古墳、飛鳥の渡来文明に感化されず、時代を超越して、諏訪盆地には真の古代神道が存続しているものと思われます。(平安時代以降は時の権力が根拠付けを残したものと思われる。)
    九州、山陰、吉備、近畿の傀儡歴史文明に惑わされず、真実の日本の歴史を科学的に解明されるものと思っています。

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