奈良3日目はまず天理駅から石上神宮へ向かいます。徒歩30分ほどの道のりの前半は商店街の中。
「神具店」がいくつもあるのが珍しい。

朝早かったので閉まっていますが。他にもいくつも「神具店」を見かけました。天理といえば天理教。天理教が神道をベースにした宗教だからなのでしょう。

開店途中?の店発見。神棚に備える道具などを売っているようです。

風情のある造り酒屋。杉玉が吊るしてあります。

天理教の教会本部。広大です。

鉄筋コンクリートと思われる巨大なビルなのにデザインが和風、というちょっと奇妙な建物がいくつもありました。みな天理教関係の建物のようです。

いよいよ石上神宮です。


鳥居の扁額の文字は「ふつのみたまのおおかみ」と読み、石上神宮のご祭神です。ふつのみたま( 韴霊 とも、 布都御魂 とも書きます)は、神武天皇の東征を助けた神剣であり、その霊威を称えて神様として祀っています。



この池には「ワタカ」という日本の固有種の魚が生息しているとのこと。生息地が限られた珍しい魚のようです。


重要文化財の楼門

楼門から拝殿をのぞく

国宝の拝殿。第72代白河天皇が御所の神嘉殿の建物を寄進したもの。
この神社にはかつては本殿がなく、拝殿の背後の禁足地に、神剣、韴霊(ふつのみたま)をはじめとする宝物が土中深くに祀られていました。明治期には発掘されて新たに造られた本殿に祀られますが、いまだに禁足地も残されています。




石上神宮には三柱の神様が祀られています。
- 布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)
神剣「韴霊(ふつのみたま)」に宿る神様が、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)です。
布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)は武甕雷神(タケミカヅチノカミ)のものでしたが、神武天皇が熊野で悪神の祟りに遭い、兵ともども寝込んでしまった際に、高倉下命(タカクラジノミコト)を通じて、神武天皇に賜りました。神武天皇がこの剣を手にするや否や、病はたちまちに癒え、大和平定に向けての旅を再開することができたという聖なる剣です。
神武天皇は即位後、饒速日の子である宇摩志麻治命(ウマシマジノミコト)に命じて、この剣を宮中に祀られました。その後、崇神天皇の7年に勅命によって、石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)の地に移されたのが、石上神宮のはじまりです。
- 布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)
天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)に宿る神様が、布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)です。
天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)は、神武天皇に従った饒速日命(にぎはやひのみこと)が、天津国(アマツクニ)から携えて来た十種の宝物です。亡くなった人をも蘇らせる力が秘められていたと伝えられています。これも崇神天皇の7年に宮中よりこの地に移されました。
- 布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)
天十握剣(あめのとつかのつるぎ)に宿る神様が布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)です。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)が出雲国(島根県東部)で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治するのに用いたのが天十握剣(あめのとつかのつるぎ)です。
石上神宮は物部氏の総氏神でもあります。
この他にも、百済から伝わった七支刀も石上神宮が所有していますが、これらの刀や宝は公開されておらず、見ることはできません。
日本最古の道といわれる「山野辺の道」の中間地点に石上神宮は位置しており、ここから「山野辺の道南コース」が始まります。




