戦後日本人の戦争観はどのようにして形作られたのか

日本の戦争は自存自衛のためであると同時に、西欧諸国の植民地となったアジア諸国開放のためでもありました。当時世界はほとんどすべて西欧諸国の植民地となり、独立を保っていたのは、日本、タイ、アフガニスタン、サウジアラビアくらいでした。

アジア諸国はいつ植民地を脱して独立を回復したか。ほとんどが1940年代、つまり戦争中か、戦後数年です。一方アフリカ諸国の独立はそれよりも大幅に遅れ、1960年代から70年代にかけてでした。その違いはどこから来たのか。

それは日本が大東亜戦争に参戦したからです。日本はインドネシアからオランダ軍を追い出し、マレーシアからイギリス軍を追い出し、インフラを整備し、国民に教育を施しました。また優秀な人材をわざわざ日本に招いて特訓を施したりもしました。

もちろん日本の進出には資源を確保したいという利己的な理由もありました。アジア開放は単なる名目に過ぎない、と戦後のわたしたちは教え込まれている。でも実際にアジア諸国がアフリカ諸国よりも20~30年早く独立しているのは紛れもない事実であり、それは彼ら自身の努力と同時に、日本の功績でもあるのです。

おととし、インドのモディ首相が来日したとき、インド国民軍と日本軍が共同で行った「インパール作戦」の生き残りの元日本軍兵士をわざわざ探し出して面会し、手を握って感謝の念を伝えています。

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実際にはインパール作戦は失敗に終わった作戦であり、インド人日本人双方に多大な犠牲を出しました。それにも関わらず戦後70年経った今でもインドの指導者はそのことに感謝している。インド独立の英雄、チャンドラ・ボースが参加したこの闘いが、やはりインド独立の礎となったからです。

イギリスが最終的にインドの植民地支配をあきらめたのは、インド国民の暴動を抑えきれなくなったから。ではなぜ国民は暴動を起こしたのか……それはイギリスが、インパール作戦に参加した将校たちを処刑すると発表したからです。国の独立のために身を賭して闘った英雄たちを処刑するとは許せない、と国民の怒りが湧きたったからでした。

もうひとつだけ例を挙げましょう。タイの元首相であるククリット・プラモード氏の言葉です。「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが 生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは 一体誰のお陰であるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。更に 8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々はこの2つの日を忘れてはならない」

しかし、日本のマスコミは一切こうしたことを報じません。「日本は戦争でひたすら悪いことをした」と日本人に信じ込ませることが彼らの使命であるかのようです。日本は悪いことも確かにした。でもその報道はあまりにもバランスを欠いています。

進駐軍は戦後7年間の日本占領中、徹底したWar Guild Information Program(戦争は罪であると思いこませるための情報統制)を敷きました。日本軍は初期には技術的にも強かったし、なによりも精神力が強かった。それを恐れた彼らは、日本人が二度と戦争しようなどと考えないよう、洗脳教育を施したのです。

具体的な方策のひとつが、報道してはいけない項目を定めた「プレスコード」というものです。以下にその30項目を挙げましょう。

1 SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判

2 極東国際軍事裁判批判

3 GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判

4 検閲制度への言及

5 アメリカ合衆国への批判

6 ロシア(ソ連邦)への批判

7 英国への批判

8 朝鮮人への批判

9 中国への批判

10 その他の連合国への批判

11 連合国一般への批判(国を特定しなくとも)

12 満州における日本人取り扱いについての批判

13 連合国の戦前の政策に対する批判

14 第三次世界大戦への言及

15 冷戦に関する言及

16 戦争擁護の宣伝

17 神国日本の宣伝

18 軍国主義の宣伝

19 ナショナリズムの宣伝

20 大東亜共栄圏の宣伝

21 その他の宣伝

22 戦争犯罪人の正当化および擁護

23 占領軍兵士と日本女性との交渉

24 闇市の状況

25 占領軍軍隊に対する批判

26 飢餓の誇張

27 暴力と不穏の行動の煽動

28 虚偽の報道

29 GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及

30 解禁されていない報道の公表

(昭和21年9月21日発布「日本に与うる新聞遵則」のうち「削除と発行禁止のカテゴリーに関する解説」)

プレスコードに触れると、新聞は発行停止処分を受け、倒産の危機に陥ります。それを避けようと努力するあまり、学習能力の高すぎる彼らは7年間の間に完全に洗脳されてしまったのでしょう。とうの昔に占領が終わった後も、ほぼそれを守り続けているかに見えます。

こうした徹底したWar Guild Information Programの結果、自国のために命を捧げた人に感謝する、敬意を払う、という世界では当たり前のことが日本では問題視される、という状況になっているのです。

「戦争か平和か」といったら誰でも平和を選ぶ。でも「戦争か奴隷か」を選択しなければならなくなったらどうするか。人を殺したくないから「奴隷」を選ぶ、というのもひとつの選択でしょう。でもそうして日本までも欧米の植民地となっていたほうがよかったのでしょうか。

欧米人は有色人種を対等の人間と見ていませんでした。欧米による植民地政策は徹底した搾取と愚民化です。写真はイギリス支配下のインド人です。

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イギリスで紡織機械が発明されると、その需要を妨げるインドの手織り工は邪魔者扱いされ、その手首が切り落とされ、各地に手首塚ができるほどでした。

「戦争」という言葉には悪いイメージしかないけれど、「革命」という言葉にはいいイメージ、肯定的な響きがあると思いませんか? でもわたしがキューバの革命家チェ・ゲバラを描いた映画を見に行って初めて知ったのは、キューバ革命は戦争(内線)そのものだということでした。バンバン殺していました。

「○○界の大革命!」などと宣伝文句にも使われるくらい、「革命」という言葉にはプラスのイメージがあるのに、「戦争」という言葉にはマイナスのイメージしかない。これもWar Guild Information Programの成果なのかな、と思っています。

 

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