奈良旅行2日目。今回の旅のテーマは日本建国の歴史を巡る旅。まずは初代神武天皇ゆかりの地を巡ります。
畝傍御陵前駅から徒歩でまずは神武天皇陵へ。

神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト=後の神武天皇)は宮崎県の高千穂で生まれ、兄の五瀬命(イツセノミコト)とともに、東へ向かう旅に出ました。「神武東征」です。幾多の苦難を経て、大和(奈良)に至り、この地を平定し、橿原(かしはら)の地で即位されました。
それが皇紀元年、今から2685年前のこととされています(考古学的な研究によれば、ざっくり約2千年前)。


神武天皇は畝傍山(うねびやま)の北東の麓に葬られた、との記録があり、それに基づいて、江戸時代になってから治定されたのが、この神武天皇陵です。御陵(ごりょう、天皇のお墓)も神社と同じく二拝二拍手一拝でお参りします。
神武天皇御陵から、神武天皇を祀る橿原神宮へと向かいます。途中は美しい林の中を抜けてゆきます。

道の途中には戦没者を祀る「若桜友苑」があります。




徒歩15分ほどで橿原神宮です。


神武天皇の建国の詔(みことのり)でもっとも有名な言葉が「八紘為宇(はっこういう)」。四方八方、日本全土をもってひとつの家としよう、日本国民全員が家族のように仲良く暮らす、そんな国にしよう、という志が述べられています。
日本がずっとひとつの皇統のもとで続いてきた、世界最古の国となることができたのも、この志があったればこそ、と言えるのではないでしょうか。

拝殿では参拝の記念に記帳できます。


建国の父である神武天皇を祀る神社、橿原神宮ができたのは、意外に遅く、明治になってから。神武天皇を慕う地元有志の声に応え、明治天皇が京都御所の建物を下賜されて創建されました。創建の年、明治23年は皇紀2550年、つまり神武天皇が即位されてから2550年の節目の年に当たります。

皇紀2600年=昭和15年にも奉祝記念事業として宮城拡張が行われ、全国各地から寄進された2万本あまりを含む計7万本あまりの木が植えられ、今はそれが鬱蒼とした森をつくっています。

彫刻家だった祖父(長谷川栄作)は、聖徳太子像を橿原神宮に納めているのですが、これもその時の奉祝記念事業の一環だったのでしょう。その像は戦争で焼けてしまったと聞いていますが、写真で見る限り秀逸な作品なので残念です。
橿原神宮の宝物殿は、拝殿や本殿とはだいぶ離れたところにあります。神武天皇の絵―勾玉の首飾りをかけ、弓矢を携え、頭椎の太刀(かぶつちのたち)という特徴的な太刀を佩く姿は迫力があります。群馬県の遺跡から出土したという頭椎の太刀の実物もとてつもない長さがあり、ド迫力でした。
