石上神宮を出て、山野辺の道を桜井方面へひたすら歩きます。





永久寺跡には寺の絵図を描いた陶板が展示されているのみ。伽藍は跡形もありません。

道端で朽ちたトラックを突き抜けて竹や木が生えていました。



夜都伎神社です。






なんとありがたい! 100円の大きなイチジクを買って、この休憩所で皮ごとかぶりつきました。
炎天下でへたっていた体がイチジクで生き返りました!


環濠集落は看板だけはわかったけれど、実際にどこがその濠なのか、よくわかりませんでした。暑すぎて探す気力もなし。

アルカイックな文様にグッときます。さすが奈良。





五社神社



田んぼや柿の畑が広がるのどかな田園地帯に鎮まる衾田陵(ふすまだりょう)は、継体天皇の皇后、手白香皇女(たしらかのひめみこ)の墓だとされています。第25代武烈天皇亡き後、その後を継ぐ直系の男子がいなかったため、第15代応神天皇の五世孫(息子の息子の息子の息子の息子)である、継体天皇が皇位に就きました。手白香皇女は、第24代仁賢天皇の皇女であり、第25代武烈天皇の妹に当たります。武烈天皇からかなり離れた親戚となる継体天皇が皇位を継ぐにあたり、枝分かれしていた2つの血統を再統合する役割を果たしたのが、手白香皇女の存在です。皇統断絶を回避するための手法として現在でも参考にすべき事例といえるでしょう。
継体天皇の時代には百済から五経博士を招き、この頃から我が国の歴史を正式に記録しはじめたと考えられています。(現存する最古の文書は古事記ですが、古事記の中には、それよりも古い書物があったことが記されています)また、「氏(うじ)」の使用が始まったのも、この頃だと考えられています。
ここで一旦山野辺の道を外れてお昼休憩です。
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表示状態公開公開2025年8月10日 7:36 PMゴミ箱へ移動2件のリビジョン
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