わたしが初めて靖国神社にお参りした理由

今日、8月15日、わたしは靖国神社に参拝してきた。

今年のお正月についで、靖国神社に行くのはこれが2度目だ。

戦後日本でしっかり教育を受けたものの常として、わたしは靖国神社については、少し前までいい印象を持っていなかった。

戦死者を賛美することによって、若者を戦争に駆り立てた装置のように思い込まされていたからだ。

しかし、4年ほど前に、進駐軍が戦後日本に徹底してWar Guild Information Program(戦争は罪深いものであると思わせる情報作戦)を施したことを知ってからは、多少その見方が揺らぎ始めた。

去年、神道に通じた人から話を聞く機会があり、「靖国神社は日本の伝統的な御霊(ごりょう)信仰のうえに成り立つものである」という話を初めて聞いた。

御霊信仰とは。 人が怨念を抱いて死ぬと、その魂は怨霊と化し、 災害や疫病を引き起こすなどの祟りをなす。 そこでそれらの怨霊を神として崇め奉ることによって、その霊を鎮め、災いから逃れる、というものだ。 平将門の首塚をおろそかにすると祟られる、などの話も、御霊信仰のエピソードとして有名だ。

熱い思いを抱えたまま死んでいった戦死者たち。その魂を鎮めるために神社に祭る、というのは、こうした日本の伝統的信仰に基づいている。

それぞれの国に独自の伝統文化があり、信仰がある。日本が日本の伝統的精神文化に基づいて、戦死者を祀ることを咎める権利など、他国にはない。

それを知ったことが、わたしが靖国神社に行こうと思った理由のひとつだ。

もうひとつ、靖国神社に行ってみようと思ったきっかけは、曾祖母の兄にあたる乃木希典の遺書を読んだことだ。

遊就館(靖国神社併設の資料館)に出品しているものはそのまま寄付するように、と書かれていた。日露戦争で戦死した息子2人の遺品や、希典自身の遺品などもあるのかもしれない。それをこの目で確認して、祖先のことをもっと身近に感じたい、とも思った。

先の大戦で戦死した母の兄だって、靖国神社に祀られているのに、わたしはこれまで一度も参拝したことがなかった。やはりきちんとお参りして祖先の霊を弔おう、と思ったのだ。

年初の靖国神社には参道にたくさんの出店も出ていて、お祭りのようだった。多くの人がお参りしていた。わたしもお参りし、祖先の霊にこれまでの不義理を詫びた。

その後、遊就館に行った。戦死した青年たちが家族にあてた手紙などがあることは想定していたが、近代以降の戦争全般にまつわる詳しい歴史解説のパネルが膨大にあることに驚いた。

一度に全部を読むことなどとても不可能な量だったが、わたしにとって特に印象に残ったのは、「大東亜共同宣言」と「アジアの独立地図」だった。

「大東亜共同宣言」は1943年11月6日に日本で開催された大東亜会議にて採択されたもの。参加国は日本、中華民国、満州、フィリピン、ビルマ、タイ、インドだ。 その大東亜共同宣言を現代仮名遣いに直して、ここに挙げておこう。

*   *   *

そもそも世界各国が各その所を得、相寄り、相助けて、万邦共栄の楽を共にするは世界平和確立の根本要義なり。 しかるに米英は自国の繁栄の為には他国家他民族を抑圧し、特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行い、大東亜隷属化の野望をたくましうし、ついには大東亜の安定を根底より覆さんとせり。大東亜戦争の原因ここに存す。 大東亜各国は相提携して大東亜戦争を完遂し、大東亜を米英の桎梏より解放して、その自存自衛を全うし左の綱領に基づき、大東亜を建設し以て世界平和の確立に寄与せんことを期す

一、大東亜各国は共同して大東亜の安定を確保し同義に基づく共存共栄の秩序を建設す

一、大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦睦の実を挙げ、大東亜の親和を確立す

一、大東亜各国は相互にその伝統を尊重し民族の創造性を伸長し、大東亜の文化を昂揚す

一、大東亜各国は互恵のもと緊密に提携しその経済発展を図り、大東亜の繁栄を増進す

一、大東亜各国は万邦と交誼を篤うし、人種差別を撤廃し、よく文化を交流し、進んで資源を開放し、もって世界の進運に貢献す

*   *   *

最後の「進んで資源を開放し」というあたりに、他国から資源を獲得したいという日本の思惑が見て取れるが、それ以外はすばらしい理念ではないだろうか。

独立を尊重す、と謳いながら日本占領下にあったインドネシアには独立を認めていないなど、日本の中にも矛盾があり、この宣言に対する批判もある。 しかし、それでもなおかつ、当時の欧米の植民地政策と比べれば、この宣言を採択した日本のスタンスははるかに素晴らしいとわたしは思う。

たとえばイギリスの苛烈な植民地政策のもと、綿花、紅茶など換金作物ばかりをつくらされたインドでは、ひどい飢饉が発生し、人々は飢えさらばえて、白骨大地とまでいわれた。

indian-people-in-starvation

たとえば、ベルギーの植民地支配のもと、コンゴの人々はゴムやカカオ生産のノルマを与えられ、ノルマを達成できないものは手首を切り落とされた。

congo

労働者の手首を切り落としては、労働効率もあがらないのに、どうしてそこまで愚かな、かつ非人道的なことができるのか。それは白人が有色人種を同じ人間として見ていなかったからだ。 白人にとっての有色人種は、場合によっては、ハンティングの対象ですらあった。

有色人種を同じ人間とは認めない、そんな欧米の植民地政策が世界を席巻していた時代に、日本の主導で「大東亜共同宣言」が採択されたことはやはり画期的なことだったと思う。

また、遊就館に掲げられた歴史地図を見ると、アジア諸国の独立が第2次大戦中とそのすぐ後に集中していることもわかる。

日本が大東亜戦争に突入していなかったら、アジア各国の独立はずっと遅れていただろうといわれる。 日本はアジアに進出し、戦闘によって欧米を追い出したり、あるいは現地の人々に教育を施したり、あるいは日本に招いて人材を育成するなど、さまざまなかたちでアジア諸国の独立を手助けした。

アジアの解放という大義名分の下で、自国日本の利益を得ようという思惑も全くなかったとはいわない。それでもなお、結果として日本の進出はアジア諸国の独立につながったのだ。

実際にアジア各国の政治家が、自国の独立は日本の助けがあってこそ成し遂げられたものであると述べて、日本に深い感謝の念を表している。

たとえばタイの首相ククリット・プラモートは以下のように述べている。

「日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。 今日、東南アジアの諸国民が米・英と対等に話しができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。 12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決心をされた日である。われわれはこの日を忘れてはいけない。」と真珠湾攻撃の日に感謝するよう言っているのだ。

このように、(中韓をのぞく)アジア諸国の人々から、日本は深く感謝されている。日本の戦争には功罪両方の側面があったのだ。それなのに、「罪」の方しか伝えないマスコミは明らかに偏っている。

たとえば、インドのモディ首相が去年来日して、安倍首相と会談したことは報じられる。しかし、同じ来日時にモディ首相が、日印共同のインパール作戦で祖国 の英雄チャンドラ・ボースとともに戦った99歳の日本人兵士をわざわざ探し出して、感謝の念を伝えたことはどこも報じない。

modi

ここに明らかにマスコミの作為がある。まずはそこに気づいてほしい。

昨日の安倍首相の戦後70年談話を「何が言いたいのかわからない」などと評する人もいるが、学校やマスコミの語る歴史とは別の角度からも歴史を見ることを学び始めたわたしにとっては、よくわかるし、おおむね納得のいく内容だった。

安倍首相の大企業優先の新自由主義的政策には大反対だが、戦勝国が自分たちに都合よく捻じ曲げてしまった歴史を、正そうとしている点だけはわたしは評価したい。 「歴史修正主義者」という言葉は、戦勝国連合や、そのWar Guild Information Programにどっぷり浸かったままの教育界やマスコミにこそ捧げられるべきものだ。

終戦記念日の今日、わたしは二度目の靖国参拝をした。初詣の時にも増して境内は混雑しており、参拝を待つ人の長い行列が続いていた。

IMG_2788

わたしは団体参拝に申し込んでいたので、本殿まで上がって参拝することができた。なにか厳かで身の引き締まる思いがした。

IMG_2787
一緒に行った友人と

母方の祖母には5人の子供がいたが、男の子は一人だけだった。そのたった一人の息子も戦死して、靖国神社に祀られている。晩年、お参りしたがった祖母を、免許取り立ての従兄が車を運転して連れて行ったことがあったらしい。

従兄は運転はしていったものの、靖国神社へのお参りは拒否したという。祖母は大層悲しがり、しょんぼりしてしまった、と一緒に行った母は言う。 それもそうだろう。めんどうくさいから行かない、という以上の明確な拒絶の意志を見せられたのだから。自分の孫が、自分の息子の霊を弔うという、当たり前のことに対して。

これもWar Guild Information Programが生んだ悲劇だろう。靖国神社は罪悪を正当化しようとする人たちの道具であるかのように、高等教育を受けたわたしたちは思い込まされてきたのだから。 今年になるまで一度も靖国神社にお参りしたことがなかったわたしも、従兄のことを責められない。

叔父が亡くなって71年、祖母が亡くなってからももう35年近い。「おばあちゃま、これからはわたしがお参りに行くから大丈夫よ」と、彼方にいる祖母に語りかけている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です