皇居の勤労奉仕に行ってきました

先週、皇居の勤労奉仕に行ってきました。
皇居の勤労奉仕は連続4日間、15人以上60人までの団体で申し込みます。わたしは「日本を知る会」という勉強会のメンバーとして行ってきました。
基本的な任務はお庭の落ち葉掃きなどのお掃除。
その合間には35万坪あるという広大な皇居の敷地の中をいろいろ見学させてもらえます。

江戸城の本丸跡では、「ここら辺が大奥」「この辺りが忠臣蔵で有名な『松の廊下』があったところ」「ここが天守台」などと説明してもらえます。
周囲に何十種類もの菖蒲が植えられた池。そこに泳ぐのは長い長いひれを優美になびかせる錦鯉。天皇陛下の発案で、インドネシアのひれの長い魚と、日本の錦鯉を掛け合わせた品種でこの池でしか見られないものだそうです。そんな美しいお庭の風景も、休憩時間にじっくりと堪能させてもらえます。(ただし撮影禁止なので、ここで写真を紹介できないのが残念です)
宮中三殿(皇祖神天照大神を祀る賢所、歴代天皇・皇族の霊を祀る皇霊殿、天神地祇を祀る神殿)は塀の外からお参りするだけですが、周辺の原生林のような自然とあいまって、厳かな雰囲気を感じさせてくれました。

毎日それぞれに貴重な体験をさせてもらいましたが、なんといっても感動したのは、天皇皇后両陛下とお会いできたこと。
戦後教育の中で育ってきた普通の人間として、4-5年前まで皇室に何の興味もなかったわたしですが、近年いろいろと日本の歴史文化を勉強する中で、皇室のありがたみというものを考えるようになりました。
天皇陛下がいかに国民を思いやり、国民に率先して働いて模範を示し、国民のために神への祈りを捧げ、またそうした国民への思いを歌に詠むなどしてきたか。戦前はおそらくみなが普通に知っていた、しかし現代の学校では決して教えられないそうした事柄を知るにつけ、近年わたしの天皇陛下への見方は大きく変わってきました。

遠くは北海道や四国から来た、1団体30人程度の勤労奉仕団が全部で6団体。その団員200人くらいが入った部屋に、天皇皇后両陛下が入っていらして、それぞれの団長さんと二言三言お話しくださいます。
「いつもどんなことしていらっしゃるの?」「高知といえば満濃池があるところですね」などと天皇陛下が話しかけられると、皇后陛下が「あら、それは香川県ですよ(笑)」などと和やかな会話が交わされます。
天皇陛下はご高齢で公務が体の負担になっていることを今年明らかにされましたが、そんな状態にあっても、わたしたちのためにこうして時間を割いてくださるのだと思うと、そのお心が本当にありがたく感じられます。皇后陛下も限りなく優しいお声で話されるその姿に深い慈愛が感じられ、輝くようなオーラにも圧倒されました。

万世一系でずっと続いて来た日本の皇室は、世界でもっとも古い王朝です。天皇皇后両陛下は神代の時代から今に続く日本の歴史の象徴であり、その元に国民が長らく一致団結してきた国民統合の象徴でもある……「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって」という日本国憲法第1条に記されたその言葉が、はじめて100%腑に落ちて感じられたことでした。
と同時に名状しがたい感動が胸いっぱいにこみあげてきて、なぜか目に涙があふれてきました。多くの人が同じような感動を覚えるのか、あちこちから鼻をすする音が聞こえてきます。日本人であるって、こういうことなんだ、とも思いました。

すべての日本人が天皇陛下に同じ思いを寄せ、一致団結できた戦前の日本はどんなに強かったことか。そして、GHQの目論見によって、そのアイデンティティーが崩壊させられた戦後の日本がいかに精神的にバラバラになり、弱体化させられたか。そのことを思うと、改めて悔しさがこみ上げてきます。

戦後教育の中で育ったわたしは「人間はみな平等であるはずなのに、天皇がその身分に生まれただけで特権を得るのはおかしい」と思う人の気持ちもわかるのですが、今上天皇はもちろん、日本の歴代天皇は、決して特権を笠に着て国民を苦しめたり、抑圧するようなことはありませんでした。

日本書紀では「百姓」「民」「人民」などと書いて「おおみたから」と読ませています。つまり天皇にとって、国民は大いなる宝なのです。天皇が、支配や抑圧や搾取の対象ではなく「おおいなる宝」として国民を慈しむ……これが、神武天皇建国の頃からずっと続く、日本という国の在り方なのです。

第十六代仁徳天皇の「民のかまど」の逸話も日本国のあり方を象徴するものです。仁徳天皇が即位4年目に高台に登ってあたりを見渡されたところ、煮炊きをすれば当然あがるはずの煙が、村々から立ち上っている様子がありませんでした。「民は食べるものにも事欠くほど困窮しているのか」と察し、それに心を痛めた仁徳天皇は、それから3年間一切の税を徴収するのをやめてしまいました。3年後、再び高台に登った仁徳天皇は、あちらこちらから煙が立ち上る様子を目にして、大層喜ばれました。
「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」というのが、その喜びを詠った仁徳天皇の御製です。3年の間に天皇の住む宮殿は荒れ、屋根も破けて隙間から星が見えるありさまでしたが、天皇はそれもいとわなかったとされます。

勤労奉仕団を案内してくれた宮内庁の係員の方も、終戦後しばらく、皇居の建物が荒れ果てているのに、昭和天皇は敢えてそれを直させず、国民の労苦を偲んだのだ、という話を聞かせてくださいました。

「罪あらば我を咎めよ天津神 民は我が身の生みし子なれば」という明治天皇の御製も有名です。

百人一首の第一番目も天皇の御製です。天智天皇「秋の田のかりほの庵のとまをあらみ 我が衣では露に濡れつつ」これは、天智天皇が実際に秋の田で稲刈りをしたあとで休んでいる様子を表した歌だとも、また農民の苦労に思いを馳せて歌ったものだとも言われます。いずれにせよ、天皇は決して遊んで暮らして贅沢をしているわけではなく、国民に率先して働いたり、国民の労苦に常に心を寄り添わせていらっしゃいました。

今でも天皇陛下は皇居の中の田んぼで田植えや稲刈りをされていますし、皇后陛下は皇居の桑畑で摘んだ桑の葉で養蚕をされています。昭和天皇は最晩年、病床にあっても自らの体にことには愚痴一つこぼされず、長雨の続く空を見て「稲は大丈夫か?」と気にされていたとのことです。

そんなふうに慈愛をもって国民を思い、国民のために常に祈り続けて来られた天皇と、国民とは大きな家族のような絆で結ばれてきました。その天皇の元に一致団結できた戦前の日本は、精神的に本当に強かった。だからこそ、アメリカはその強さを恐れ、二度と日本という国が自分たちに歯向かうことのないよう、徹底した洗脳教育を施したのです。

もしも、あなたが「天皇は専制君主」「戦前の日本は暗黒時代」「戦争で日本はひたすら悪いことだけをした」「武器を捨てさえすれば平和が来る」などと思い込んでいるとしたら、それはGHQの施したWar Guild Information Program(戦争は罪なことであると思いこませる洗脳計画)の影響です。日本弱体化のための洗脳計画に、まんまとはめられているのです。
GHQは徹底した報道統制を行うとともに、教育現場を洗脳のために利用しました。

マッカーサーは本国陸軍省にあてた手紙の中でこう記しています。
「推定1800万人の生徒、40万人の教師、4万の学校は占領政策を全うするための道具である」
次々と打ち出された教育政策の中には「神道指令」というものもあり、日本人の強靭な精神力の源泉となっていると見て、神道について教えることを禁止しました。天照大神を皇祖とする皇室についても、教えられなくなりました。

歴史学者トインビーは「12~3歳までに民族の神話を学ばなかった民族は例外なく滅びている」と言っています。拠り所となるアイデンティティーを失うことで、団結できなくなってしまうからでしょう。
他国の罠にはめられたせいで、そんなふうに日本人が精神的にバラバラにされてしまったこと、その底知れむ損失の大きさ、もったいなさを、すべての日本人に気づいてほしい。こんなすばらしい元首をいただく、こんな幸せな国に、わたしたちが生まれたということ、そのありがたさに気づいてほしい……今のわたしは、そう強く強く願わずにはいられないのです。

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